memo/読書きろく/ミルフイユ04
今日のつくり方
「新しい生活様式」、「ウィズ・コロナ」「アフター・コロナ」とか、いろいろあるけれど、とにかく「これが正解!これをやっておけばOK!」は今のところ無い。
別に今回に限ったことでは無いのに、最近まで「じゃあ、どうすればいいんだ!」「誰か正解を教えてくれ!」という思考に陥って、疲弊していんだと思う。
現状と向き合うために、「日常」の捉え方について、改めて考えてみようと8年前に購入した本を読み返してみた。
読み返そうとしたきっかけは、その日が8月15日だったという事と、志賀理江子さんの序文を思い出したから。
序文「今日の作り方」
「取り戻すべき日常」は、果たしてこれまでと同様の日常なのか。過去に戻るのでもなく、此処に留まるのでもなく、ただ漠然と何かを棚上げするかのように未来を描くのでもなく、いま、今日をどうつくるのか。
この問いに携える道具のひとつとなるよう、この本をつくった。
私たちは震えている。あるいは、喘いでいる。もしくは、戦っている。日々、あらゆるものの価値についての決定を要請され、その答えを急かされる。焦らずにはいられず、自らの内のどこからか湧いてくる、よくわからない渇望に捕らえられていく。そんな日々の向こう側にどのような未来を描けばいいのだろう。そう立ち止まる間にも、実態のよくわからない大きな力が、私たちをまた元のサイクルに引き戻そうとする。
このまとわりつくような濁流から、身を引きはがし、たとえ不器用であろうとも痺れるような実感がともなう歩みを得るには、あらためて今日のつくり方、そして外界との関わり方についての方策を探る必要があると考えた。
この「取り戻すべき日常」は、今の私の状況とは違うけれど、もとの部分では、通じているように感じた。
本書では、東日本大震災、戦後を通して「日常」について多く言及されている。
「日常」とはなにか?
昨日と同じ今日か?
今日よりいい明日か?
「日常」に、絶対はない。
「日常」のリセットボタンを“押された”気がしていたけど、情報ばかりを追っていて、自分で考えていなかった。
「自分はどうしたいのか?」を考えたい。